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先日(7月18~20日)、マッサキ震災スタディーツアー第二弾、開催しました。 今回も非公開募集ながら、3名の方にご参加いただきました。

今回は、スタディー色(教訓)が強く末崎の方を初め、多くの方にご協力いただきました。 ご参加いただいた方、ご協力いただいた方、本当にありがとうございました。 今回の旅では、どうでしたでしょうか。いろんな方をご紹介できたこと、新たな出会いに感謝です^^

楽しむ・学ぶ・考える 〜 二日目 〜

おはようございます。ぐっすり眠れたでしょうか。
第二日目、参りましょう!と、大和田家の母親は、朝食をはりきって準備していました。バイキング?どちらで覚えたのでしょうか。朝から食べきれません。
大和田家を後にして、マッサキで被災した場所を見学しました。震災遺構として、まだ残っているコンビニ(当時夜九時まで)だった古座商店さん。骨組みだけ残して、建っています。これから、当時の凄惨な状況を少しは感じてもらえたのではないでしょうか。

時間があまりない状況でしたが、前回、この旅でお世話になった小松夫妻宅へ顔を出しました。 去年参加された方との感動の再開。とびきりの笑顔で、ご夫妻はとてもお元気そうで何よりでした。

そして、今回最大のアトラクション、碁石海岸の遊覧船!
実は、前日までの台風の影響で、運行するかどうか微妙な状況でしたが、朝一番で運行しますと連絡が入りました。
いよいよ乗船。船はここいらでは、「カッコ」と呼んでいます。「波は、台風の影響で少し荒れでっがらよ。でも、しっかり捕まってで、まんがいず(万が一)、おっこっても(落ちても)、すうずっぷん(数十分)浮いでれば、助けさくるがら」と説明を受け、少々戸惑いながら乗り込みました。
案の定、船は大揺れ。言い方を変えれば、エキサイティング。
参加者は、カッコ初体験。「こんなの波のうぢじゃねーがら(波はそこまで高くなくマシな方だ。)」と、けっこうなスピードを出します。
参加者の一人は、あまりの揺れに顔を伏せてしまい、「おい、あげろ、あげろ」(酔うので顔を上げなさいの意)と船頭さん。 陸からは、穏やかに見える海面も実際に海に出ると波の勢いがけっこうありました。
碁石海岸の観光名称「穴通磯」の穴をくぐり抜けたり、カモメ、ウミネコの歓迎を受けたり、巨石群を鑑賞したり、碁石海岸クルーズ?を堪能しました。この日は、連休ということもあり、他のお客さんもおり、賑わっていました。

それから、震災体験第2弾は、震災直後から避難所をまとめていたお二人のお話。 場所は、実際に避難所として使われていた碁石地区コミュニティーセンターにて。
マッサキ町は、十数の地区に別れていて、その中の西館(にしたて)という地区の避難所をまとめていた及川さん、大和田さん。
一人体制では大変だと考え二人で取りまとめることを決断し、その後即座に組織を形成し、外部・内部の連絡役、衛生担当、食料担当、生活担当など分業して、全員協力で大きな事故もなく仮設住宅に入るまで乗り切りました。
「今後は、今回の体験を後世に残していきたい。
また、行政頼みだけでなく自らどう動けるのかが重要で、都会の震災は想像もつかない、その時の状況は、こことは全く異なるだろう。震災の報道は、減ったというが、それでもやってなくはない。ぜひ興味関心を持ち続けてください。」というメッセージをいただきました。

少し難しいお話もあり、みなさん、お腹はぺこぺこです。
本日のお昼は、「碁石岬」です。目の前に広がる海と磯の香り、波の音でロケーションが素敵な食堂です。みなさんは、何を頼んだでしょうか。やはり、海鮮系のものを注文されたようです。 美味しくいただきました!

午後は、マッサキを飛び出して、岩手県で最も犠牲者が多かった陸前高田市に向かいました。
高田市では、現在、かさ上げのための工事が進められていて、何十メートルにもなる巨大な柱があちこちに建てられています。
まずは、一本松を見学。残念ながら、一本松は枯れてしまい、現在一本松があった場所に建てられいるのはレプリカです。レプリカといえ、以前と同じ規模です。
この上まで波が来たことを容易には想像できません。

東日本大震災では、本当に多くの方が犠牲となりました。
19,225人の方が犠牲なり、未だに2,614人の方が行方不明(2015年3年1日現在:総務省消防庁)となっています。
数では簡単に言えますが、その一人一人には大切な人生がありました。

一本松の見学後、被災者の親友という立場で、佐藤さんと佐々木さんにお話をお伺いしました。
佐藤さんは、陸前高田市出身で、佐々木さんは、お隣の住田町出身で、いずれも震災当時、地元にはいませんでした。
震災後に地元にそれぞれ戻り、働いています。お二人の同級生だったご友人は、陸前高田で被災し、帰らぬ人となりました。親友の生前の思い出やご自身が地元に戻ってきた経緯などもお話いただきました。
「あの時、地元にいられなかった後悔が今でも心に引っかかって、あれから自分らは変われただろうか」と時折考え込む場面もありましたが、佐藤さんは、現在地元に戻り震災関連のお仕事をされ、佐々木さんは、震災直後に地元へ戻り支援物資を配るフリーマーケットをされ、現在は福祉関連のお仕事をされています。
お二人は地域のために戻り、懸命に働かれています。

その後、佐々木さんは、お仕事のため、お別れしました。
そして、佐藤さんの友人が高田市のお祭りの準備を近くでしているということで、見学することになりました。見学のはずが・・・強制参加させられることになり、みなさん、厳しい(笑)指導の下、お祭りで使用する飾りを二〜三本ほど作成しました。一番作業が遅かったのは、スタッフの大和田でした。
作業が落ち着くと、佐藤さんの友人がお話を聞かせてくれました。佐藤(み)さんの友人もまた佐藤(と)さんと言います。
佐藤(と)さんは、震災で母さまと妹さんを亡くされていました。また震災当時、地元にはおらず東京で働いていました。いろいろな経緯があり、何か貢献できないかと地元へ戻り働くことを決めました。
行事等にも積極的に参加して、お祭りを復活させたいと頑張っていました。コミュニティーをつなぎ元気にする素晴らしい活動だと思いました。

その後は、やや時間も押し気味でしたので、高田のイオンスーパーでお土産を済ませ、二日目の宿に着きました。
海さんぽさん。前回同様食べきれない程の夕食がたくさん出てきました。お刺身、天ぷら、お鍋、茶碗蒸し・・・リーズナブルなお値段で大満足でした。
さて、本日もいろいろ回りましたので、みなさん、お疲れさまでした。と、参加者の一人が手持ち花火を持参されていたので、 碁石浜で花火をして、最後は線香花火でしっぽり締めくくりました。
それでは今度こそ、おやすみなさい。